大島杏子さん

指導者として、 夢は、もういちど五輪へ

明星大学は、体操においても生き方においても、幅を広げる機会となった場所です

アテネ五輪のとき、高校三年生でした。6歳から体操を始め、オリンピックまでずっと突っ走ってきた体のメンテナンスをする上でも、将来は指導者になるという私の夢を考えても、大学に進むことに迷いはありませんでした。

明星出身だった両親の勧めもあり、明星大学の通信教育課程に。指導者になったら小さいうちから体操の基礎を教えたい。幼稚園の教職課程を選んだのはそんな理由からです。体操の練習時間も確保できるので、通信で学べるのは魅力でした。

普段は添削授業でしたが、登校する授業もあって、行ってみると年齢も職業もばらばら。ちょっと話しかけづらかったとか後で言われたんですが、仲良くなっ た友達もいて、サプライズで誕生日をお祝いしてもらった時は感動してしまいました。また、北京五輪の前は、大学全体で壮行会をして頂きました。温かい寄せ 書きまで頂き、もう辛いとか痛いとか言ってられないって思いましたね。明星大学は、体操においても生き方においても、幅を広げる機会となった場所です。

いま、本格的に指導者の道を目指してアメリカに行こうと思っています。日本のやり方で育ってきたけれど、吸収できることはすべて学びたい。お世話になっ た体操クラブのためにも、女子体操界の未来のためにも、まずは飛び込んでみたい。小学校の卒業文集でも書いているんです。「オリンピックに出て、コーチに なって、教え子と一緒にまたオリンピックに行きたい」って。いま、夢の途中です。

写真:大島 杏子さん 大島 杏子さん

筆者プロフィール

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