高島 秀樹さん

自分たちが大学を創っていく

明治の学者とか侍のような先生ばかりで、学生と一緒に自分たちで大学を創っていくんだという情熱にあふれていました。

明星大学ができた一1964年の翌年、設立されたばかりの人文学部第一期生として入学しました。

なぜ、明星大学を選んだかというと、いわゆる伝統的で大人数の大学に行ったら、結局はワンオブゼムで埋もれてしまうんじゃないかと思ったんですね。 新しく小規模なところで、やりたいことがやれるほうがいい。自分を出せると考えたわけです。

創設者である児玉九十先生は常に「ヒューマンタッチ」と言っていたのですが、明星大学では建学時から教員と学生の人格接触、密接な関わりを大切にしていました。 知識を受け渡すだけの間柄ではないんです。 ゼミも少人数だから、休み時間になると先生の研究室に行ってお茶を飲みながら話しこんだり、正月は先生の家に押しかけたり。

明治の学者とか侍のような先生ばかりで、学生と一緒に自分たちで大学を創っていくんだという情熱にあふれていました。 当然、学生たちにもそういう意識は非常に強くありましたから、私も学友会の議長や運営委員をやったり、当時は画期的だった日米アメフト対抗戦の開催を手がけたり、いろいろやりました。 伝統がなかったからこそできたわけです。

今の学生たちには、建学当初と同じように、やりたいことを何かひとつ見つけて打ち込んでほしいと思います。 自分の世界をもち、そこできちんと頼られる、なくてはならない人を目指してほしい。 それが「明星大学生」だと思います。

明星大学も来年いよいよ創立五十周年を迎えますが、半世紀を歩んできた今、建学の精神を始め、あらためてこの大学の独自性を、もっとお伝えしていきたいと考えています。 在校生や卒業生の方はもちろん、明星大学に関わってくださった全ての方のご協力があって、ここまで来られました。

思い出やエピソードで綴る「私と明星大学」。 多くの皆さまから投稿いただけたら光栄です。

写真:高島 秀樹さん 高島 秀樹さん

筆者プロフィール

SNSでシェアする
Facebookで共有する
LINEで共有する
Twitterで共有する