大室 容一さん

熱く、濃い、明星小学校の日々

 1950(昭和25)年、明星小学校の誕生と同時に私も晴れて1年生になりました。開校時は2年生も募集があり、一学年上といっしょの入学。まだ教室がなくて幼稚園時代を過ごした教室を間借りする形で明星小学校はスタートを切ったんです。戦後まだ5年。あの時代に学校をつくるというのは大変なことで、夏休みの間に工事して、9月にようやく職員室が一つと教室二つ。先生もまずは二人いらっしゃっただけでしたね。

 担任の先生は明星の卒業生。元気があって熱い空気がいつも伝わってきました。3年生の頃からは日曜日に学校に出てきて、丸太や角材を使ってサッカーのゴールを作ったり運動会の装飾もやりました。まさに体験教育でしたね。先生は先生で剣道の胴衣を縫い合わせて野球のベースを作ってくださって。もちろん、厳しい指導が基本でしたが放課後になるといっしょに野球を楽しんでくれるような愛情があって。先生も児童も自分たちが学校をつくっているんだという意識がとても強かったし、そのぶん楽しかったですね。掃除や躾や人としてのマナーなど、大切なことは先生たちと共に過ごしたあの環境で培ってきた気がします。いまも私の体に当たり前のように染みついている掃除のやり方などはまさに小学校以来のものですから。

 幼稚園から高校まで明星学苑で過ごしましたが、一番心に残っているのは小学校。それこそ熱い明星イズムが濃厚に充満した6年間だったんです。

写真:大室 容一さん 大室 容一さん

筆者プロフィール

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