心豊かに過ごした学生時代。社会に出ても変わらぬ姿勢で初の女性支店長に

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多摩信用金庫 常勤理事 ※ご所属は取材当時のものです。

高橋尚子さん

たかはし なおこ

【明星高校・明星大学人文学部経済学科 1986年卒】

多摩信用金庫で初の女性支店長となった高橋尚子さん。男女雇用機会均等法や育児休業法の施行に合わせてキャリアを重ねていきました。与えられた役割を懸命にこなしていたら今のポジションに就いたと語ります。学生時代や社会に出てからどのように過ごしてきたのかについて、お話しいただきました。

多摩信用金庫の育休取得第一号としてキャリアを重ねる

父親が児玉九十先生の教育方針に感銘を受け明星中学に入学することになり、以来、大学を卒業するまでずっと明星に通ってきました。当時の明星は男女別学で、女子部は良妻賢母を育てるような教育でした。身だしなみやマナーに関しては厳しく言われていました。でも、ずっとそういう教育を受けてきたので、特に違和感はなかったです。

学生時代は同じような家庭環境の友達が集まっていたので、競争を意識することなく、心豊かに過ごすことが出来ました。世の中に出ても、誰かを追い越してトップになりたいという気持ちはありませんでした。与えられた役割の中で、学んできたことや自分のできることを愚直に活かしていくという考えでした。社会人になってから初めて褒められたのは、会社を休まないことです。上司からは「仕事を頼みたいときに必ずいるから有難い」と言われましたね。明星の校訓である「健康・真面目・努力」の「健康」が役立った格好です(笑)。

就職の際、当時は4年制大学卒の女子学生採用の門戸は狭く、入社して3年ほど勤めて寿退社するパターンが典型的でした。私も長く働き続けるという意識はなかったのですが、多摩信用金庫に採用された年に男女雇用機会均等法が施行されました。新しい人事制度へ移行し、男女均等となり教育機会も賃金も昇進昇格の機会も制度上は平等となりました。その時代の流れに乗って、結婚後も何の障害もなく仕事を続けることができました。

1986年卒業式(前列中央が高橋さん、後列向かって左から2番目にはご主人の姿も。)

さすがに出産の際には退職しようと考えていたのですが、そのタイミングで今度は育児休業法が施行されることになりました。周囲に育休を取得した女性職員がいなかったので無理かなと思いましたが、先輩の女性職員の方から「中堅職員になるまで何人育成しても結婚や出産で退職してしまうのが勿体ない。あなたが取得しないと後に続く人が出ない」と言われて、取得を勧められたのです。当時も保育園の待機児童問題があったので、実家の近くに転居し、育児は母親を頼ることにしました。こうして、多摩信金で育休を取得した職員第一号になりました。その後は取得する女性職員が続き、今では取得率100%となっています。

ただ、同級生たちなど周囲を見ると、組織に入って私のように働き続ける女性は多くなかったです。女性がキャリアを継続する上で大きな壁となるのは、子育てと仕事の両立にあると思います。個人的な考えですが、仕事と家庭に割く力が半分ずつではなかなか上手く行きません。仕事7割、家庭3割ぐらいでないと自分も納得できませんし、周りにも認めてもらえないと思ってやってきました。私の場合は、育児は母がほとんどやってくれたので出張や残業も何とかこなすことができました。

選択肢があれば難しいほうを選ぶ

若い頃は仕事をいろいろと任せてもらえて、チャレンジする機会もたくさんいただけました。次のステップに進むような新しい仕事のオファーがあった時に女性は遠慮しがちです。私は、機会はチャンスだと思って、期待に応えようと努めてきました。私にその仕事ができると思って声掛けしていただいている訳なので、どんなオファーが来ても受けられるようにしたいと思っていました。

学生の頃から決してリーダーシップをとるタイプではなかったですが、自分が納得できれば頼まれたことはやる感じでした。選択肢がある場合は、やったことがないほうを選ぶことが多かったと思います。経験のあることは大体先が読めますが、なければ自分次第でいかようにもできる面白さがあるからです。職場でも、結果的に「女性初の〇〇」になることが多くありました。そういう立場にしていただいたことには本当に感謝しています。

私たちの世代は女性も長時間労働をこなせなければ、役割を十分に果たせないような環境でしたが、今は時代が変わりました。性別に関係なく、自分の強みを理解し、その力を発揮ができる人が成功するのかなと思っています。仕事の上で男女差が付く理由の一つは、職務の与え方や経験の差が大きいのではないでしょうか。私たちの子供世代には性別に対する先入観がないので、これからどんどん変わってくると思います。

学生の皆さんには、自分の良さや能力を早く見つけて伸ばしていただきたいと思っています。私の場合、仕事に就いてからもあまり思い悩むことなくここまで来られたのは、男女差を過剰に感じることもなく、ストレスもうまく解消できたからかもしれません。乗り越えるのが難しそうな壁が現れた時も、「同じような教育を受けている男性ができているから私にもできる」と考えるようにしてきました。多くの人と接する仕事ですので、周囲の人から学ぶことが多く、それが成長の糧となりました。

大学を卒業してしばらくは明星学苑とご縁がなかったのですが、支店長になった際に大学本部にいらっしゃる先輩の方が訪ねてくださり、お話を伺う機会がありました。以後、いろいろなご縁ができ始め、仕事柄、明星出身の地域の事業者の方にいろいろと助けていただいたりもしています。主人は明星大学のバスケットボール部でしたし、息子も小学校から高校まで明星に通っていました。私を教えていただいた先生が息子の担任になっていただいたりもしました。今後も、明星との繋がりは大切にしていきたいと思っています。

体育会バスケットボール部冬合宿(中央列、向って右から3番目が高橋さん)