可能性を探し続けて見つけた「自分にしかできない仕事」

#076

SDGsに関するシンポジウムパネルディスカッションに参加

ミュージシャン・一般社団法人Enije(エニジェ)代表

矢野デイビットさん

やの でいびっと

【明星大学人文学部国際英語英文学科(現:国際コミュニケーション学科)2005年卒】

モデル、ミュージシャン、そしてガーナの子どもたちの自立支援活動を行う一般社団法人Enije(エニジェ)の代表として、多彩な活躍をされている矢野デイビットさん。ガーナ人の母親と日本人の父親の間に生まれ、家庭の事情で6歳から日本の児童養護施設で育った特殊な経験の持ち主です。人生の可能性を切り拓くためにもがき続けた大学時代や、社会人になってからの経験を語っていただきました。

打ち込める何かを求めてもがいた大学時代

高校まではずっとサッカーに打ち込んできたのですが、燃え尽き症候群のようになってしまい、人生における幸せとは何だろうと考えるようになりました。明星大学に入学したのは、勉強の面で自分が成長できそうだったのと、人生の目的を見つけるという点でもしっくりくる場所に思えたからです。そしてもう一つの理由が、僕の恩師と呼べる先生が明星大学の卒業生だったからです。

僕は子どものころ、児童養護施設で育ちました。最初のうちは体が弱く、数カ月間入院することになったのですが、その時に研修看護師として面倒を見てくれた先生が、退院して半年後に僕のいる施設に就職してきたのです。ある時、先生と喧嘩をしてしまい、酷いことを口走って引っ叩かれてしまいました。その時、彼女に涙ながらに「デイビットはそんな子じゃない!」と言われ、ハッとしました。それまで自分のことを家族に捨てられて、世の中から必要とされない存在だと思っていたのですが、ちゃんと考えてくれる人が世の中にいるんだと。この先生を裏切りたくないし、先生のような大人になってしっかり生きようと思いました。今でも先生とは、手紙のやり取りを続けています。

大学生活に関して言えば、予想以上に苦しいものでした。自分の可能性を見つけたいと思っていたものの、1年間は何も見つからず非常にモヤモヤしていました。2年生の頃には1年間休学して打ち込めるものを探してみましたが、それでも何も見つからない。そこで思ったのは、「自分は今初めて人生のスタートラインに立ったんだ」と。あと3年間、大学に通って一生懸命探すしかないと気付いたのです。

兄マイケルさん(左)と弟サンシローさんとともにボーカルユニットYANO BROTHERSとしても活躍

打ち込めるものが見つかったのは大学3年生になって、モデルの仕事を始めてからです。最初は全く仕事がなかったのですが、ある撮影がきっかけで雑誌の専属モデルになり、どんどん仕事が増えて、大学を卒業するころには十分な収入が得られるようになりました。就職してサラリーマンになろうとも思ったのですが、父親に相談すると「サラリーマンになるのは最後の選択肢として取っておけ。一度しかない人生で、自分の限界に挑戦する経験をしろ」と言われました。父はエリートサラリーマンで憧れの存在でしたが、若い頃、挑戦しようとしてできなかったことがあると語り、僕には挑戦する人生を歩んでほしかったようです。尊敬する父がそう言うならやるしかありません。上手く行き始めていたモデルの仕事に打ち込むことに決めました。

ガーナでの経験で自分の使命に目覚める

人生においてもがいてきたことの1つに、アイデンティティの問題があります。サッカーの試合で他校に行った時に「外人だ」と揶揄されたり、馬鹿にされたりしましたし、知らない人に「外人は国に帰れ」と言われたりもしました。6歳から日本に住んでいるのに、自分の居場所は日本ではないのかもしれないとも考えました。そこで、日本とは違う何かを感じるのではないかと思って、大学生の時初めて母の故郷であるガーナに行ってみました。でも、そこでも現地の人に「お前はガーナ人じゃない」と言われて、自分はいったい何者なんだと悩みました。

ただ、そこで気付いたのは、自分の肌の色が「ハッピーフィルター」になっているのではないかということです。肌の色で判断する人は勝手に離れていくので、僕と友達になってくれるのは基本的にいい人です。肌の色ではなく、人間として生きる大切さに気付けたことが精神面での大きなブレイクスルーになりました。

25歳の時にもう一度、人生の答えを求めて2カ月ほどガーナに滞在したのですが、その時に忘れられない出来事が起きました。帰国1週間前に、現地のガーナ人や日本人の友人が送別会を開いてくれた時のことです。テラス席で食事をしている僕たちのところに、物乞いの少年が何度もお金を求めに来ました。会話がさえぎられることに少しイライラして、強めの口調で追い払おうとしてその少年の顔を見たところ、僕の幼少期にそっくりだったのです。

ガーナでの自立支援活動で現地の学校をまわり子どもたちと触れ合う矢野さん

その瞬間に頭から全てが飛んでしまって、それまでの人生がフラッシュバックしました。 施設に預けられた頃の辛い記憶や、いじめられているのに助けてくれなかった大人のこと、世の中の理不尽さに対する感情などが入り混じって、何も喋れなくなってしまいました。その感情に蓋をしてしまっては、目の前の少年も少年時代の自分も裏切ってしまう事になる。自分のこれまでの人生は、孤独を抱える子どもを守るためにあったのではないか、それを神様が長年掛けて僕に経験させてくれているのではないか。そんなふうに考えたのです。

そして、日本に帰国してから大切な友人たちを集めて、ガーナの子どもたちの自立を支援する活動を始めたいから力を貸してほしいとお願いしました。何から始めれば良いのかも分からなかったのですが、人生で初めて確かなものが降りてきたからとにかくやりたいと思いました。それで立ち上げた団体がEnijeです。今後はもっとガーナと日本を行き来して、自分が何を幸せに感じ、仲間や家族とどんなふうに生きていきたいのか、考えてみたいと思っています。

現在、明星大学で客員講師として僕の経験を伝えさせていただいています。大学は良い意味ですがるものがない場所なので、自分自身に向き合うにはとても良い環境ではないかと思います。僕の場合も、自分と向き合うことで本当の友達に数多く出会えたのが大学時代でした。人生に迷っている学生の皆さんには、そのことを伝えたいと思います。