年齢を重ねて再認識できた明星教育の価値

#072

(株)村内ファニチャーアクセス 代表取締役社長

村内健一郎さん

むらうち けんいちろう

【明星中学・明星高校 1977年卒】

日本最大の家具専門店として知られる村内ファニチャーアクセス社長の村内健一郎さん。経営者としてさまざまな経験を積む中で、明星学苑で学んできた教えの意味が再認識できるようになったと語ります。学生時代のお話と、明星の教育について思うところを語っていただきました。

高校時代、先生の影響で読書好きに

私が代表取締役を務めている村内ファニチャーアクセスは、父が戦後間もない頃に設立した村内木工所が前身です。我が家は先祖代々、八王子の滝山城の麓に500年以上住み続けてきたのですが、その土地で保有していた木材を加工して、近隣の小学校で使う机や椅子を作ることが出来れば、きっとお役に立てるだろうと考えたのが商売を始めるきっかけでした。その後、父は欧州一の家具店「フィスター」に憧れて、「村内ホームセンター」を現在の場所に構えました。実は「ホームセンター」という呼称を、日本で最初に使ったのはわれわれなんです。当時は今の一般的なホームセンターとは違って、「住まいのショッピングセンター」という意味合いで、家具だけでなく家電製品や楽器なども販売していました。

私が明星中学、高校に通っていた頃は、山間部の自宅からバスで京王八王子駅まで30分、そこからさらに電車に乗って府中まで通っていました。どちらかと言えば内気な性格だったので最初の頃は気後れしていたのですが、同じく八王子から通学している仲間たちのグループに入って打ち解けていきました。当時は男子部と女子部が分かれていたり、体育教官の先生が非常に怖かったりと、今とは随分と様子が違いましたが、人生の中でも中学、高校時代は楽しい時期だったと思います。

栂池サマースクールにて 右が村内さん、左が友人の横山和裕さん

あまり真面目に勉強した記憶はないのですが、高校一年の時の担任だった古文の白川晶山先生が特に印象に残っています。住職をしながら教職も務めているという変わった方で、特に強制されたわけではありませんが、先生の影響で非常に多くの本を読むようになりました。学校での勉強の事を忘れる時間のような感じで、通学時のバスや電車の中で高校3年間を通じて数えきれないくらいの本を読みました。経営者となった今は多忙でなかなか本に割く時間がありませんが、読書好きになったのは先生のお陰です。また、詩吟クラブを作るから部員になるように先生に言われて、府中市の大会に出たりもしました。高校生で詩吟というのも珍しかったと思いますが、何か言われたら付いて行きたくなるような、人間的な魅力のある先生でした。

厳しい局面で思い出す明星の教え

私は幼少の頃からずっと父の会社を継ぐのが既定路線で、父だけでなく祖父や祖母も当然そういうものという認識でした。私自身も特に反発することはなかったのですが、地方の同業の家具屋さんに丁稚奉公に出されるのではないかという不安はずっと持っていました。ですから、大学を卒業してからいったん自動車会社に就職した時は大きな解放感がありました。すぐに家業を継がず、他の会社で仕事を経験できたことは良かったと思います。

その後、社名を現在のものに変更し、会社を継いで社長になってからは、商品も家具に特化するようにしました。町から家具店がなくなり本格的な大型専門店の価値が見直されてきています。最近は改めて「家具は村内八王子」の宣伝を再開しPRを行っています。

小売業界は競争が激しいため、経営者として厳しい局面に立つこともあります。そんな時には、明星で受けた教育の価値が改めて分かります。経営状態が悪くなるのはほとんどの場合、謙虚さを忘れたり、恵まれた環境にいるにも関わらず強欲になってしまったりする時です。「健康、真面目、努力」という校訓や、しっかりと地に足を付けることの大切さ、そうしたことを意識しだしたのは、恥ずかしながら最近になってからです。若い頃には気付きませんでしたが、学生時代にしっかりと教育していただいたことが今に繋がっている気がします。校訓の他にも凝念の時間の児玉九十先生のお話など、年齢を重ねるにつれて、教わってきたことの本当の意味が分かってきたように思えます。

今の時代は昔と比べて、子供たちを大切に育てようと考えるご両親が増えている事でしょう。失敗しないように、道を逸れないようにと育てる傾向が強まっていると思いますが、やはり人生は一度しかないので、生徒の皆さんは失敗を恐れずに、やりたいことに一生懸命取り組んでいただけたらと思います。