東京高等バレエ学校設立「困った人を助けること、それが私の生き方です」

#036

東京高等バレエ学校代表

里見悦郎さん

さとみ えつろう

【明星中学、明星高校1972年卒】

現在、東京高等バレエ学校で代表を務める里見悦郎さんは、オリンピックの世界に関わりたいという一念で大学生時代に当時は珍しかったモスクワ留学を果たし、その後も持ち前の行動力で人生を切り拓いていきました。夢を持って行動することで人との縁を生み、人生の可能性を広げてきた里見さんから、これまでの波乱万丈な歩みを伺いました。

オリンピック関係の仕事を夢見てロシアに留学

私がスポーツの世界に入っていったのは、明星高校に入学した時期に開催された札幌オリンピックでフィギュアスケートを見て感銘を受け、自分でもやってみようと思ったのがきっかけです。父が映画や音楽が好きで、小中学生のころからミュージカルに親しんでいたのも影響しました。

高校時代から世界平和に関心を抱いていたので、将来は平和の祭典であるオリンピック関係の仕事に就きたいと考えるようになりました。そこで、日本体育協会(現日本スポーツ協会)に電話すると総務課長さんが面談してくれて「海外のスポーツを勉強したら、将来は協会で働けると思う」と助言をいただきました。当時はフィギュアスケートをはじめ、柔道やバレーボールなど、オリンピックで常に日本の前に立ちはだかっていたのがソ連(現ロシア)でした。ロシアのスポーツを勉強すれば、体育協会内にあるオリンピック委員会で仕事ができる――そう思って、ロシアに留学できる大学を目指すことにしました。

ロシアに留学できるコースがある東海大学に進学し、3年生の9月から1年間モスクワ大学で学びました。しかし、日本からの留学生は文学部にしか入れなかったため、授業ではロシア語やロシア文学を学び、スポーツに関しては図書館で独学していました。

そんなある日、フィギュアスケートでロシア初のオリンピック金メダルを獲得したプロトポポフ夫妻が主催するスケート大会があると聞き、面会を申し込みました。実際にお会いして「ロシアのスポーツについて勉強したいがツテがない」と話したところ、ロシアでトップのスポーツ研究所の先生を紹介してくれることになったのです。研究所では体操、陸上、水泳、バレーボールなど、さまざまな競技で金メダルを目指す選手たちが練習していました。日本では入手できないスポーツ関係の文献も揃っていて、疑問に思った点を論文の執筆者であるコーチに尋ねるなどして、知識を深めていきました。

日本に帰国後、高校時代に助言を頂いた日本体育協会の課長さんに会いに行き、「モスクワ大学でスポーツの勉強してきた」と報告すると非常に喜んでいただき、新入職員の試験を受けるように言われました。しかし、当時はスポーツ界にロシア語を話せる人材がほとんどいなかったため、スポーツ大会でロシア選手団が来るときの通訳やその他の手伝いに駆り出されたりして勉強の時間が取れず、協会の試験に落ちてしまいました。

仕方なく、いったんは民間企業に就職したのですが、やはりスポーツ関係の仕事がしたかったので、休日になるたびに「中途採用で雇ってほしい」と協会にお願いに通いました。体育協会への就職は叶いませんでしたが、同じ建物の中にある日本クレー射撃協会の職員公募があると教えてもらい、そこに採用されることになりました。以降はさまざまな競技団体との繋がりが出来て、ロシアのスポーツ系雑誌の翻訳や、オリンピック委員会で海外情報を分析する仕事などを任せられるようになりました。こうして、ようやくオリンピック関連の仕事ができるようになったのです。

日本のクラシックバレエ界に貢献

クラシックバレエ界との繋がりができたのは、東海大学医療技術短期大学でスポーツ生理学や解剖学の講義を担当していた際に、日本の大学にはクラシックバレエ学科がないという話を聞いたのがきっかけです。調べてみると、長時間の練習やスパルタ式の指導が原因で、日本でバレエに取り組む子供たちには怪我が非常に多いことが分かりました。そこで、教育心理学や医学など、しっかりとした国家資格を持つ指導者を養成するバレエコースを昭和音楽大学に設立することにしました。そのご縁から、育仁会小田切病院に設置されたバレエ専門のリハビリ科に、診療部長として就任することにもなりました。

現在、私が代表世話人を務めている東京高等バレエ学校は、日本のバレエ界が40年間にわたって陳情してきた国立バレエ学校設立の計画が凍結されてしまったため、全国のバレエ研究者が集まる比較舞踊学会が主体となり、2008年に設立されました。一学年当たりの生徒数5人に対し指導に当たる教職員は20人と細かなところまで目が届くシステムで、欧米のプロバレエ団のオーディション合格を目指したカリキュラムを組んでいます。日本人として初めてロシア国立マリンスキー歌劇場バレエ団へ入学した生徒を輩出するなど、教育の質の高さはロシアバレエ界でも認められています。

私がこれまで、やりたいことを実現できた背景には、明星学苑の自由な校風で学んだ影響が大きいと思います。進学だけを目標にいたずらに競争を煽る学校ではなかったことが、自由に生きていくという発想に繋がっていきました。人生は一度しかありません。在学生の皆さんもやりたいことや夢があるなら、是非行動してみてください。一生懸命取り組めば必ず協力してくれる人が現れて、道が開けると思います。