東秋留小校長 地域社会と学校との繋がりを深める教育活動に従事する

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あきる野市立 東秋留小校長

田中淳志さん

たなか あつし

【明星大学人文学部心理・教育学科教育学専修1988年卒】

2022年4月に、あきる野市の東秋留小学校の校長に就任した田中淳志さん。明星大学時代はへき地教育研究会というサークルに所属して、全国の小学校を訪問していました。その経験を小学校教員となってからも活かし、現在は学校と地域社会との連携を深める活動に取り組んでいます。

大学時代はへき地の学校を訪問して子どもたちと触れ合う

中学生ぐらいの頃から、小学校の教員になりたいと思っていました。明星大学を選んだのは父の影響もあります。残念ながら、私が高校3年生の時に父は亡くなってしまいましたが、それ以前から「教師を目指すなら、人がしっかり育つ明星が良いのではないか」と私に勧めていました。小学校の卒業文集には将来の夢として「校長先生になりたい」と書いていたので、私が教師志望であることを、父はずっと気に留めていたのでしょう。教師になりたいと思った理由は、小学生の時に出会った校長先生が人間的に温かかったこともありますし、自分の知識を伝えたり、人と関わって喜んでもらえたりするのが素敵に思えたからです。

大学生の時にはへき地教育研究会というサークルに入り、東京都西多摩郡の桧原村をはじめ、群馬県、山梨県、青森県、岩手県など、地方の小さな小学校に出向いて子どもたちと関わりました。印象深かったのは、それらの場所ではいずれも地域の人々と学校との結びつきが非常に強かったことです。地域社会にとって学校は非常に大切な存在であると同時に、学校も地域の人々に助けられながら運営されていました。

教員採用試験は補欠合格だったため、卒業後から半年間は、伊豆諸島の青ヶ島で臨時教員として働くことになりました。正規の教員としても、最初に勤務したのが桧原村の児童20人程度の学校だったため、サークル活動でへき地の小学校を回った経験がそのまま活かせました。その後、規模の大きな学校に赴任した際も、自分のやり方を変えたくはなかったので、へき地の学校での経験してきたのと同じように、地域の活動には積極的に参加するようにしてきました。

子どもたちと接するときに意識しているのは「一緒にやる」ということです。授業では毎日失敗だらけでしたが、運動会や卒業式といった大きな行事をやり遂げた子どもたちの姿を見るとこちらも達成感を感じますし、仕事に取り組む上での励みにもなりました。今は、勉強面でも生活面でも、知識や技能だけでなく考える力や創造力が大事になってきているので、そうした部分を教師の側から発信するように心がけています。

卒業後も続く明星学苑との繋がり

2022年4月から校長として勤務している東秋留小学校は、150年の歴史があります。実はあきる野市にある小学校10校のうち、5校が2023年に150周年を迎える予定となっており、歴史と伝統がある学校が多いのです。ちなみに、子どもの頃に通っていた増戸小学校は私が在学中に100周年を迎え、150周年もあきる野市のどこかの学校で迎えられると良いと考えていたので、その夢が今の学校で実現することになりました。

150周年に際して、東秋留小学校の文化や歴史と伝統をアピールするために、校長に赴任してからは特色ある学校活動を打ち出すよう努めてきました。あきる野市に100年以上伝承されてきた秋川歌舞伎をクラブ活動に取り入れたり、地元で行われるお祭りのお囃子の演奏を学習したり、地域で昔盛んに行われていたお米作りを継承したりといった試みを行っています。これらの他にも、あきる野の歴史や文化を継承する教育活動に力を入れているところです。あきる野市民として、郷土を大切にしてくれる子どもたちがたくさん育ってくれたら嬉しく思います。

明星学苑で学んで良かったと思うのは、在学中だけでなく卒業してからもたくさんの人たちとの繋がりを持てたことです。大学時代にゼミで教わった小川哲生先生や、教師になるために必要な事柄をしっかりと教えていただいた今福一寿先生、さらに卒業後は、明星大学同窓会副会長を務め、父から明星大学への入学を薦められるきっかけを作っていただいた澤利夫先生など、多くの方々に助けられています。特に多摩地域において、明星学苑は地域社会と密接に関わっていて、重要な存在になっていると感じます。これからは私自身が率先して、後に続く方たちのために繋がりを作っていきたいと考えています。

明星から学んだ言葉で、今でも一番使っているのは「実践躬行(じっせんきゅうこう)」、つまり、頭で考えたり口にしたりするだけでなく、自分で実際に行動することが大事だということです。学生の皆さんにとにかく目標に向かって、諦めずに精いっぱい頑張ってほしいと思います。心より応援しています。