背中を押してくれる明星の環境があったから体操を続けられた

#016

体操女子 東京五輪銅メダリスト

村上茉愛さん

むらかみ まい

【明星高校2015年3月卒】

東京2020オリンピック・パラリンピックの体操競技、種目別床運動で銅メダルを獲得し、日本の体操女子個人種目では史上初のメダリストとなった村上茉愛さん。引退後の現在は指導者として活躍する傍ら、メディア出演をはじめ様々な仕事を意欲的にこなしていらっしゃいます。明星高校時代のエピソードや学校生活を通じて学んだ事などについて語っていただきました。

高校時代は体操中心 それでも体育祭では「青春してる」と感じた

明星高校時代は、学校の授業が終わるとジュニアクラブに通って夜遅くまで練習をする毎日。私がやっている体操に理解を示し、体操中心の生活をさせてもらえたことは本当に有難かったです。そして、学校生活でも周りの人たちに助けられてばかりでした。試合の関係で入学式には出席できず、3日遅れで登校したのですが、みんな優しく声をかけてくれました。遠征が多く、高校3年生のときには一カ月ほど授業に出席できない事もありました。その時も先生が遅くまで残って個別補習をしてくださったりと、助けられました。また体操の世界とは別のところにいる学校の友達には、逆にいろいろな事を相談しやすかったです。たとえ体操で嫌なことがあっても、体操のことを考えなくていいホッとできる場所が学校でした。

選手時代を通じて戦ってきたのは体重の問題です。もともとスラッとした体型ではなく筋肉がつきやすい体質だと小学生時代から言われ続けてきたので、小さい頃から体重管理を意識してきました。でも、高校時代は友達と放課後にハンバーガーを食べに行きたいみたいな願望もありましたし、実際に我慢できずに食べすぎてしまって翌日に後悔することもありました。体操と学校生活とでは区切りを付けていたので、我慢していることをあまり表に出さないようにはしていましたが、友達はそうした私の状況を察してくれていたんじゃないかと思います。態度に出てもそっとしておいてくれたのではないかと(笑)。

学校行事にはあまり参加できなかったのですが、高校時代の思い出として印象に残っているのは体育祭です。みんなで準備をああしよう、こうしようと話し合いながら、「青春してるな~」と感じていました。学園祭も高2の時に一度だけ参加できて凄く楽しかったです。学校の友達と目いっぱい遊べたのは卒業式後のボウリングとカラオケぐらいなのですが、その日は体操の練習を休んで思い切り楽しんだのを覚えています。

高校卒業後も試合前には励ましてくださった当時の担任・平山由紀子先生との一枚。今でも連絡を取り合う仲だという。東京オリンピックと世界選手権で授与された貴重なメダルを「どうぞどうぞ。」と気さくにも自ら先生の首にかけ、喜びを共有した。

体操をなんども「辞めたい」と思った

競技生活では、挫折しかけたこともあります。高2の時に初めて世界選手権に出場できて、そのうれしさと“頑張ればメダルを取れるかもしれない”という思いがあったのですが、結果は4位。燃え尽き症候群のような状態になってしまい、その後は何もやる気が起きず、練習にも身が入らなくなりました。体重制限があったのですが、3年生になってからは気にするのをやめたり、大学に行かなくても別にいいのかなと思ったりして、ずっと引きずっていましたね。仮病を使って練習を休んだ事もありました。

とりあえず大学には進学しましたが、2016年のリオオリンピックに出場するまで、そうした状態が続きました。自分でもこのままではダメだと思っていましたが、実際に行動に移すには4年ぐらい掛かりました。

その間も一応練習には通っていたので、言われた事をやっていれば一定のレベルはキープできたんです。でも身が入らなくて、「普通の生活がしたいし体重を気にするのももう嫌だ」とコーチに伝えると「そんなのは逃げだろ!」とすごく怒られました。高校生までは小学校時代から教わってきた先生に指導されてきたので、きっと甘えが出ていたんでしょうね。でも、私もなかなか折れない性格で、節制することが面倒になり、結局体重管理は放棄してしまいました。

本気でオリンピックを目指し始めたのは中学2年生から。高校の卒業アルバムにもオリンピックに対する想いが綴られている。

大学入学後に指導者が代わると、私の煮え切らない練習姿勢に対して、監督からは何度も何度も厳しい指導を受けました。また、「あなたのその性格が悪いのではないか。」と、私の足りないところをいくつも指摘されてグサッと来ましたね。それからは葛藤がありつつも、やっぱり体操が好きですし、応援してくれる人たちに報いるためにも“変わりたい“と思うようになり、少しずつ立ち直っていきました。そして、リオオリンピックの時はようやく「自分が変わった」と思って試合に出られました。結局良い演技はできなかったのですが、その時にものすごく悔しい思いが湧き出て来て、「やり方を見直さなければいけない。もっと頑張ってみたい。」と心から思えるようになりました。良い成績が残せるようになったのは、その後からです。

後悔しないよう何事にもチャレンジを

明星高校に入学して良かったのは、今でもずっと連絡してきてくれる友達ができた事、そして私の状況を理解してもらえる環境に支えられてきた事です。高校3年間で周囲からの助けがなければ、体操を続けられなかったかもしれません。卒業後、体操だけに専念せず大学に進学したのも、希望の大学に合格するために一生懸命勉強している友達の姿に影響されたからです。当初、大学に行く予定はありませんでしたが、急遽方針を変えて進学することになっても、先生方は温かくサポートしてくださいました。自分も指導者の立場になった今、選手たちの背中を押してあげられる存在になりたいと思っています。

人としての在り方を自然と学べる場所、それが学校なのだと思います。在校生のみなさんにはぜひ何事にもチャレンジしてほしいです。私自身、高校時代に体操に十分集中しきれた訳ではありませんでした。社会人になり、当時の自分は迷いがありながら、ただ体操の練習を続けていたなと。早い段階からもっと視野を広げて体操に集中して一直線になれていたらまた違っていたかも、とも振り返りました。とにかく、何事も経験。経験をすることで考え方の幅が広がると思っているので、今のうちからぜひたくさんの経験を積んでほしいです。

指導を担当する選手と会話をしている村上さん