最高のパフォーマンスを発揮するために ハードワークで積み上げた「自信」

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ラグビー日本代表・東芝ブレイブルーパス東京

リーチマイケル さん

りーちまいける

※所属・肩書は2022年度取材時点のものです

明星学苑在籍者の保護者であり、東芝ブレイブルーパス東京(府中市)所属のリーチマイケル選手にお話をうかがいました。2019年のラグビーワールドカップ 日本大会では日本中がラグビーブームに沸きあがる中、史上初の8強入りを果たし、高い組織力を見せつけた日本代表チーム。そのチームを牽引しキャプテンを務めたのがリーチ選手です。学苑創立100周年にあたる2023年は、ラグビーワールドカップ フランス大会開催の年と重なります。再び日本代表として活躍するリーチ選手に、自信を高める方法、リーダーシップの秘訣、そして明星学苑で学ぶ皆さんへの応援メッセージをお聞きしました。

結果に結びつくハードワークで積み上げた自信

以前と比べると日本ラグビーは本当に強くなりました。リーチ選手が最初に日本代表に選ばれたころと比べて何が一番変わったのでしょうか。

一番変わったのは選手の考え方です。以前は選手たちに自信がなく、強い相手には勝てないだろうという思い込みがありました。2012年にエディー・ジョーンズヘッドコーチ(以下、HC)が就任してからみんなのマインドが変わって、どんな相手でも勝てると思えるようになりました。
日本チームはポテンシャルがあるのに、強い相手だと力を最大限まで発揮できないのが勿体ないとずっと感じていました。相手も同じ人間なので、ポテンシャルさえ発揮できれば強い相手にも戦えるはずです。日本代表は他国のチームに比べると体格は小さいけれど、その代わりにできることがたくさんあります。いろいろと理由付けをせずに、できることを最大限やっていくことが必要だと思っていました。

HCはどうやって強いマインドを植え付けていったのでしょうか。

まずは、結果を出すために自分たちで作っていた限界を壊して、ハードワークすることが必要でした。2008年に僕が代表に加わったころ、練習は一日2回で、半日トレーニングして翌日はオフだったのですが、エディーHCになってからは朝4時に起きて5時から練習、朝食などを挟んで昼までに3回練習した後も午後になるとまた練習。夕食後にも練習するというスケジュールで、地獄でしたね(笑)。

選手たちから不満は出ませんでしたか?

出ることもありましたが、日本の選手は素直なのでやることをやっていると、次第に強い相手に勝てるような雰囲気が出始めたんです。それで実際に勝てるようになってきたことが自信に繋がり、力が一気に伸びました。

HCよりも選手たちに近い立場のキャプテンとして意識していたことは何ですか。

HCが考えている理想と、僕が考えている理想をいかにマッチさせるか、ですね。きつい練習をなぜやるのか、なんのためにやるのかをみんなでしっかり話し合って、HCの考えや目的を理解したうえで練習することが大切でした。もし選手のなかで不満があったら、すぐに話し合って解決したり、内容によってはHCとも話し合ったりするなど、選手とHCの距離が離れないように意識していました。

HCと意見がぶつかることは多かったのでしょうか。

エディーHCの時は選手たちが世界のことを知らなかったので、とにかく言われたことをやる感じでしたが、ジェイミー・ジョセフHCに代わってから方針が変わったのでその時は結構話し合いましたね。そうすることで、チームが一つになった気がします。

HCと選手の意見が異なった象徴的な場面が、2015年ラグビーワールドカップ イングランド大会の南アフリカ戦だと思います。試合終了間際のチャンスで、エディーHCはペナルティキックで同点を狙うよう指示しましたが、選手全員で話し合ってスクラムを選択し逆転の可能性に賭けました。あの時はどんなことを考えていましたか?

万が一トライを取れていなかったら、僕はこの場にはいないでしょうね(笑)。あの時は自分たちが積み上げてきたことと、正しい準備をしてきたことに対する自信がありました。試合の流れや相手の状態から、トライを取りに行けば勝てるのではないかという結論にチームとして至りました。ここまで来たら勝つしかないなと。

中途半端な積み上げだと迷いが絶対出たでしょうね。

凄くハードなトレーニングをしてきたし、一番リーダーシップを発揮しなければいけない場面でした。エディーHCも試合前に「自分が正しいと思う選択をしろ」と言っていたので、迷いませんでした。

日本代表キャプテンとして意識してきたこと

ラグビー日本代表には多様なバックグランドの選手がいますが、キャプテンとして選手をまとめるのに特に苦労した部分は?

いろんな人種がいて、いろんなチームから来た選手がいるので、例えばご飯を食べる時も同じ国や所属チーム出身のメンバーで固まらないといったルールを作りました。そして「チームの新しい歴史を作る」「憧れの存在になる」「愛国心を高める」など、チームとして大事にしたいことも話し合って決めました。そのために、日本の文化を学ぶ時間を設けたり、日本の国歌を練習したり、ファンサービスをしっかり行ったり、いろいろなことをしました。そして何よりも、強い相手に勝ち自信をつけることを意識しました。

15歳で単身来日して日本の高校に編入しましたが、戸惑いや不安はなかったのでしょうか。

なかったですね。来日して初めて実家に電話したのが一カ月後で、それぐらい安心して過ごしていました。母の出身地のフィジーでは、水道、ガス、電気がなくても屋根があれば生きていけるような環境だったので、それに比べるとどんな環境であっても大丈夫だと思っていました。言葉に関してもどうにかなると認識していたので問題なかったです。

高校生のころは体も小さくてリーダーシップをとるようなタイプではなかったそうですが、変わったのはいつごろですか?

もともと黙々とプレーするタイプですし、今でも自分はリーダーシップをとるタイプではないと思っています。父親が物事を全部一人でやるタイプで、その背中を見ていたため最初は同じようにやっていたのですが大変さを感じていました。でもエディーHCがキャプテンに選んでくれて、リーダーとは何かについて、分かってきた部分もあります。一人ですべてやろうとするのではなく、どうやって人に任せるかが大事だと気づきました。

またある時、代表チームがニュージーランドからメンタルコーチを招いてくれて、その方から「リーダーは他のリーダーを作らないといけない」ということも学びました。要するに、チーム内にチームを牽引する役割を担えるリーダーを複数人を置くこと、これもチームの頑強さを高めるうえで大事だということです。

ラグビーは痛い思いもするし、いろいろなことを犠牲にしないといけないスポーツなので、その部分を明確にするのが僕のやり方。そこだけはブレずにやってきました。ラグビーに限った話ではありませんが、しっかり鍛えれば日本は世界で勝てるということを証明するために努力してきました。ラグビーワールドカップ 日本大会ではたくさんの人が応援してくれて、強豪にも勝てたので、見ていた子どもたちにも良い影響を与えられたかなと思います。

5歳のころからラグビー選手になると決めていた

明星学苑の子どもたちにメッセージをお願いします。

まずは好きなことを見つけてほしいですね。趣味でもなんでも楽しみながら、将来やりたいことを早く決めたほうが、いろいろな選択肢が出てきたときに自然と道を選べるようになると思います。応援しています!

ラグビー選手になると明確に決めたのはいつですか。

ラグビーを始めたのは5歳のころです。でも、ラグビー選手になりたいと言ったらきっと「そんなの無理だ」とか、止められると思ったので、周りにはずっと医者か建築家になりたいと言ってきました。両親にも言わず自分の中でその気持ちを守ってきたんです。ラグビーが好きでずっとやってきて、練習がつらい時は「何のためにやっているのか」と考えることもありましたが、すぐに気持ちが戻りました。

今後の目標について聞かせてください。

選手としては2023年のラグビーワールドカップ フランス大会に出ること。あとはアジア諸国を回って現地の子どもたちに何かできることはないかと考えています。海外には娘を連れて行き、いろんな人の生活を見てほしいという気持ちがあります。僕はほとんど家にいないので娘の勉強は妻が見ていますが、運動は楽しんでほしいと思いますね。あとは子どもには、チームワークや人を助けることを意識するように伝えています。