index 巻頭特集特別座談会 教育の現場から1 教育の現場から2 明星学苑創立85周年記念事業の進捗状況(報告) 歴史点描


歴史点描1964
80余年におよぶ明星学苑の歴史と先人たちの叡智に、新しい時代を生きる力を見つめ直す「歴史点描」──。今回のテーマは「明星大学開学」。現在の立派なキャンパスの裏には、創設期に展開された、関係者の数々の苦労がありました。

用地取得、資金の調達、教授陣の招へいなど、明星大学開学にはクリアすべき高いハードルがいくつもありましたが、九十先生を中心とする当時のPTA、卒業生、教職員の情熱が実を結び、1964年4月、明星大学が誕生しました。

 ““明星の人間教育”を最高学府で──。
「明星大学開学」の背景にある思い。。

 明星大学の開学は、明星学苑創立40周年記念事業の一環として進められました。大学設立の件が決定したのは1963(昭和38)年5月17日の理事会でのこと。そして児玉九十先生は、その日に早速「明星大学(理工学部)設立趣意書」を各方面に広く届けています。その趣意書を九十先生は、次のような言葉で締め括っています。
 〈明星大学は単なる学問技術の錬磨をもって満足することなく、「科学する心を持った道義心の強い技術者」の養成を行い、「世界に信頼される日本人」たらしめようという、明星学苑建学の根本精神に徹底せんとする「人づくり大学」である事を重ねて強調したいと存じます。〉
 「科学する心をもった道義心の強い技術者」の養成を志し、明星大学は1964(昭和39)年、まず理工学部の5学科(物理学科・化学科・機械工学科・電気工学科・土木工学科)をもって発足しました。翌年には人文学部(英語英文学科・社会学科・心理教育学科)が増設されますが、最初に理工学部が設置された理由は、当時の国際情勢によるところが大きかったと言えます。つまり資源の乏しい日本は、外国から原料を買い入れ、加工し、海外に輸出するしか道がなく、そのためには工業を盛んにすることが必要でした。今から40年以上も前に、九十先生は冷静な目で、日本の未来を分析されていたのです。
 さて、いざ大学設立に向けて動き出すと、次々と具体的な問題が立ちはだかってきます。教授の陣容や資金の調達なども大きな課題ではありましたが、明星学苑の社会的な信頼度および学苑関係者の奔走によって、何とか目処を立てることができました。しかし、何よりも大きな問題だったのは、建設用地の取得です。大学用地の条件として、①教育的なよい環境、②交通の便がよい、③広大な敷地、④土地価額が安価の4項目を設定。三多摩地方、埼玉県、神奈川県、山梨県と、構想の段階から1年以上にわたって探し回ったにも関わらず、「ここ!」という用地は見つかりませんでした。一向に進まない用地問題に、万策尽き果てたと考えた九十先生が、当時副学苑長の三夫先生に「創立をあきらめようか」と漏らしたこともあったそうです。
HP
大学開学式
 そんなときに多摩動物公園近くに約4万坪近くの土地があるとの情報がもたらされます。それが現在日野校のある程久保の地です。用地が決定してからは急ピッチで工事が進められ、同時進行で資金面と教授陣の問題も整備。無事に開学を迎える春がやってきました。なお、第1回の大学入学式は、1964(昭和39)年4月29日。当時の天皇誕生日であり、“天皇陛下と同日に生まれた大学”として永久に記念したいとの九十先生の思いが込められています。
 『明星ものがたり』(明星大学出版部)に九十先生は、〈明星大学のある所は多摩丘陵でも一番高い所で、東に多摩川の清流あり、西には白雪の霊峰富士山を仰ぎ、(中略)東京には見られぬ別天地であります〉と、記されています。日野と青梅に2つのキャンパスを構え、多摩丘陵には新しい校舎が悠々とそびえたつ現在の明星大学。大学創設を決して“あきらめなかった”当時の関係者の強い思いが、今も明星大学には息づいているのです。

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