INDEX 理事長対談 教育の現場から_1 教育の現場から_2 歴史点描


80余年におよぶ明星学苑の歴史と先人たちの叡智に、新しい時代を生きる力を見つめ直す「歴史点描」──。今回のテーマは、児玉九十先生が18名の生徒たちとともに訪れた「鮮満研修旅行」。インターネットも何もない時代、当時の生徒たちの目に、異国の地はどのように映ったのでしょうか?

海外への修学旅行は、今でこそ珍しくありませんが、昭和初期に海外へ生徒を率いて出かけることは画期的なことでした。まさに近年の各学校が行なっている海外研修旅行の先駆けであったともいえます。ただし、単なる遊び目的の旅行ではなく、そこにはしっかりとした目的・目標が設定されていました。

「第1回鮮満研修旅行」を通じて、生徒たちが現地で学んできたこと。

 1927(昭和2)年の4月に明星中学校が発足した当時から、最上級生となる5年生ができたら、生徒たちを朝鮮・満州への旅行に連れて行きたいと児玉九十先生は考えていました。これからの教育は、海外に目を開くものでなければならないという信念を九十先生がその当時から抱いていた証です。そのため研修旅行にもしっかりとした目的が明確に掲げられていました。
 「明星ものがたり」に、第1回鮮満研修旅行の目的が記録されています。
一.本土を離れ海外へ出る事の案外、億劫でないという体験をさせたい。
二.異民族が多数、交錯して活動している実際に接して、国際心を自得せしめたい。
三.異域における開発事業をどしどし遂行している同胞の努力を目撃せしめ、日本民族も偉大なる創造力を持っているのだという自信力を得させたい。

 まさに現在の中学、高校だけでなく大学までもが掲げる国際交流の重要性を謳ったものであるといえます。
 旅行は、もちろん今のように飛行機で移動というわけにはいきません。下関まで急行で移動し、船で釜山に渡り、夜汽車で大陸を移動する長期の旅行となります。そのため夏休み期間を利用。その行程を簡単にまとめてみます。
京城南大門にて
 関釜連絡船で釜山に着いてからは三等寝台で京城に向かい、京城、仁川、平壌、新義州などを視察して安東県に渡って、奉天、撫順、長春へ。長春からは満州鉄道をはなれて東支鉄道の機関車に乗り、北満の大平原を見ながら北満随一の大都市ハルピンを視察。その後、長春に戻った後、公主嶺、鞍山、湯崗子などを経て大連着。大連からは「はるぴん丸」で神戸へ帰着。約3週間の長旅となりました。
 雄大な大陸の大自然をはじめ、現地を訪ねたからこそ出会えた、知り得たことが多分にありました。現代のように海外の文化と触れあう機会の少なかった時代、当時の子どもたちにとって大きな財産になったことは想像に難くありません。しかし、大成功の“第1回”鮮満研修旅行でしたが、翌年の1931(昭和6)年には満州事変が勃発。第2回以降は実施されませんでした。
 現在、明星高校では春先にオーストラリアへの修学旅行を実施しています。時代は変わりましたが、海外でしか学べないもの、感じられないものがたくさんあります。そういったものを当時の生徒たちと同じように、たくさん吸収してきてもらいたいと思います。

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